Good bye ....★
皆さま、ご機嫌よう
2016年1月10日にデヴィッド・ボウイが天に召されました。
自分の誕生日にニューアルバムをリリースしたその2日後に死んじゃうなんて…
スーパースターは自分の死に際もカッコよく演出しちゃうんだね…出来過ぎてるよ…
ボウイを知ったのは物事ついた小学生のときかな?
UKロック好きなおませなクラスメイトの女の子にロック雑誌を見せてもらった時だったと記憶。
その誌面にいたのは男性とも女性とも区別できない、いやもしかしたら人間じゃないかも?と何も知らない小学生をかなりビビらせたのだよ(笑)
なんか見ちゃいけない物を見てしまった感があったな…
私がヨーロッパ旅行をする時に絶対に外さない都市がドイツのベルリン。
もちろんラバーフェティッシュの本場でもありその刺激やグッズを求めに訪れるのもあるのですが、ボウイが《ベルリン三部作》を作ったという背景にも憧れがあったりしてね。
彼がちょっと出てた《クリスチーネF》って映画もベルリンのZOO駅周辺が舞台になってたし
彼が住んでいた時代はまだ東西冷静の時代真っ只中で、ドイツは東西に分かれてて、ベルリンも東と西になってて西ベルリンは共産圏の飛び地のような状態だった時代
子供心に「ベルリン」って言葉の響きになんか妙にそそられて、知らぬ間に心の奥底に植え付けられた感じです。
ボウイが住んでいて、そして《ベルリン三部作》をレコードディングしたハンザスタジオは西ベルリンの外れ。
私が敬愛するYMOの高橋幸宏さんも「ハンザスタジオでレコーディングした時に窓を開けるとすぐ目の前に銃を構えた東ベルリンの兵士がいた」なんて話を聞いてこれまた心の中がザワザワしたりして…
彼が住んでいたのはベルリンのゲイタウンとして有名なNollendorfplatz駅周辺
ここはMR.Bなどゲイの方々のBDSMグッズやラバーグッズが買える素晴らしいお店がたくさんありまして、プレイで使うためのあれやこれやを買ったあとお散歩しながら (ボウイやイーノもこの辺を歩いたんだろうな…)なんてぼんやりと思っておりました
その後しばらくしてボウイはアメリカに行って『Let's Dance』などの大ヒットを次々と飛ばしてベルリンの退廃的なムードがなくなっちゃったな…なんてちょっとしょんぼりしたりしましたがね←(何様だよ)
2013年に発売された10年ぶりのアルバム《The Next Day》の中の『Where are we now?』にベルリンの事を唄っていて、(ああ…ボウイはベルリンに帰ってきてくれたんだな…)としみじみと思いましたよ←(何様だよ)
そういえば私の愛するテクノバンドのKRAFTWERKは『Trance-europe express』でボウイの事を唄ってるんだよね。
From station to station
back to Dusseldolf City
Meet Iggy Pop and David Bowie
(デュッセルドルフでイギーポップとデヴィッド・ボウイに会う)
実はデュッセルドルフも私がドイツを訪れたときには必ず立ち寄る場所でして…
友人が住んでるのもあるし、日本人が多く住んでいるので美味しい日本食が手軽に食べれるのでヨーロッパ旅行の締めで行く場所ですね。
ボウイ・クラフトワーク・そしてラバーフェティッシュというものが全て一体となり私の中に植え込まれてドイツという国に呼ばれたのかな?なんてぼんやり雪が降りそうな東京で思ったりしてね…
今日は坂本教授の64歳の誕生日
教授、長生きして下さいね ..…
2016年1月10日にデヴィッド・ボウイが天に召されました。
自分の誕生日にニューアルバムをリリースしたその2日後に死んじゃうなんて…
スーパースターは自分の死に際もカッコよく演出しちゃうんだね…出来過ぎてるよ…
ボウイを知ったのは物事ついた小学生のときかな?
UKロック好きなおませなクラスメイトの女の子にロック雑誌を見せてもらった時だったと記憶。
その誌面にいたのは男性とも女性とも区別できない、いやもしかしたら人間じゃないかも?と何も知らない小学生をかなりビビらせたのだよ(笑)
なんか見ちゃいけない物を見てしまった感があったな…
私がヨーロッパ旅行をする時に絶対に外さない都市がドイツのベルリン。
もちろんラバーフェティッシュの本場でもありその刺激やグッズを求めに訪れるのもあるのですが、ボウイが《ベルリン三部作》を作ったという背景にも憧れがあったりしてね。
彼がちょっと出てた《クリスチーネF》って映画もベルリンのZOO駅周辺が舞台になってたし
彼が住んでいた時代はまだ東西冷静の時代真っ只中で、ドイツは東西に分かれてて、ベルリンも東と西になってて西ベルリンは共産圏の飛び地のような状態だった時代
子供心に「ベルリン」って言葉の響きになんか妙にそそられて、知らぬ間に心の奥底に植え付けられた感じです。
ボウイが住んでいて、そして《ベルリン三部作》をレコードディングしたハンザスタジオは西ベルリンの外れ。
私が敬愛するYMOの高橋幸宏さんも「ハンザスタジオでレコーディングした時に窓を開けるとすぐ目の前に銃を構えた東ベルリンの兵士がいた」なんて話を聞いてこれまた心の中がザワザワしたりして…
彼が住んでいたのはベルリンのゲイタウンとして有名なNollendorfplatz駅周辺
ここはMR.Bなどゲイの方々のBDSMグッズやラバーグッズが買える素晴らしいお店がたくさんありまして、プレイで使うためのあれやこれやを買ったあとお散歩しながら (ボウイやイーノもこの辺を歩いたんだろうな…)なんてぼんやりと思っておりました
その後しばらくしてボウイはアメリカに行って『Let's Dance』などの大ヒットを次々と飛ばしてベルリンの退廃的なムードがなくなっちゃったな…なんてちょっとしょんぼりしたりしましたがね←(何様だよ)
2013年に発売された10年ぶりのアルバム《The Next Day》の中の『Where are we now?』にベルリンの事を唄っていて、(ああ…ボウイはベルリンに帰ってきてくれたんだな…)としみじみと思いましたよ←(何様だよ)
そういえば私の愛するテクノバンドのKRAFTWERKは『Trance-europe express』でボウイの事を唄ってるんだよね。
From station to station
back to Dusseldolf City
Meet Iggy Pop and David Bowie
(デュッセルドルフでイギーポップとデヴィッド・ボウイに会う)
実はデュッセルドルフも私がドイツを訪れたときには必ず立ち寄る場所でして…
友人が住んでるのもあるし、日本人が多く住んでいるので美味しい日本食が手軽に食べれるのでヨーロッパ旅行の締めで行く場所ですね。
ボウイ・クラフトワーク・そしてラバーフェティッシュというものが全て一体となり私の中に植え込まれてドイツという国に呼ばれたのかな?なんてぼんやり雪が降りそうな東京で思ったりしてね…
今日は坂本教授の64歳の誕生日
教授、長生きして下さいね ..…
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